米原駅東西自由通路企画展

ヤマトタケル × 伊吹山のイラスト

ヤマトタケル × 伊吹山

滋賀県最高峰で貴重な動植物の宝庫となっている伊吹山。そんな伊吹山と、日本各地で様々な伝説を残す日本古代史の英雄ヤマトタケルは実は深いゆかりがあります。ヤマトタケルは東国征伐の後、伊吹の地に荒らぶる神がいると知り退治に向かいますが、その道中伊吹山で大きな白猪と出会いました。白猪を神の使いと思い込み罵ったのですが、実は白猪は神そのものでした。神は怒り、大きな雹(ひょう)を打ちつけ、ヤマトタケルは深い傷を負い、その後、この時の傷がもとで力尽きたと言われています。

イラストでは、伊吹山を舞台に戦ったヤマトタケルと白猪、そして伊吹山を代表するイヌワシを表現しています。

伊吹山について

京極家(京極高次)× 清瀧寺徳源院のイラスト

京極家(京極高次)× 清瀧寺徳源院

安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した京極高次と、北近江の名門武家・京極家歴代の菩提寺である清瀧寺徳源院。高次は没落していた京極家再興を目指す中、大津城の戦いで居城の大津城に篭り、毛利元康や立花宗茂を擁する1万人を超える西軍の軍勢を食い止め、そのことが関ヶ原の戦いの東軍勝利に大きな影響を与えたと言われています。後に、その功績が徳川家康に認められ、若狭小浜9万2千石の国持大名となりました。

イラストでは、そんな武功をもって京極家再興を築いた高次と、その菩提寺で現代では紅葉の名所となっている清瀧寺徳源院を色鮮やかに描いています。

清瀧寺徳源院について

石田三成 × 観音寺のイラスト

石田三成 × 観音寺

天下人となった豊臣秀吉の下で数々の功績を残した石田三成。出世のきっかけとなった三成と羽柴(後の豊臣)秀吉の出会いの地が観音寺です。少年時代を寺の小姓として過ごしていた三成が、鷹狩りの帰りに立ち寄った秀吉に茶を献じて、「三椀の才」で見出されたという逸話「三献の茶」の舞台とされています。一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を出し、飲む相手を思いやったおもてなしの心で秀吉に気に入られ、出世の糸口をつかみました。

観音寺について

霊仙三蔵 × 松尾寺(飛行観音)のイラスト

霊仙三蔵 × 松尾寺(飛行観音)

平安時代前期の高僧・霊仙三蔵と飛行観音を御本尊とする松尾寺。「三蔵」とは「経・律・論」に精通した高僧に与えられる最高位の称号で、その三蔵の称号を授与されたのは世界で8人だけ。そして、その称号を日本人で得たのは歴史上でただ一人、霊仙三蔵だけでした。近江国醒ヶ井(現・米原市醒井)の出身と言われ、法相宗大本山・奈良の興福寺にて修行に励みました。その後、804年に留学僧として唐に入り、梵語(サンスクリット語)の修学に努め、「大乗本生心地観経」の筆受および訳語の重責を果たしますが、その後日本に帰国することなく、827年にその生涯をとじました。松尾寺にはそんな霊仙三蔵を祀るお堂として祈念堂があり、また、空の旅の守り仏として「飛行観音」とも呼ばれ、探査機「はやぶさ2」の帰還も祈願されています。

松尾寺について

浅井一族 × 福田寺(浅井御殿)のイラスト

浅井一族 × 福田寺(浅井御殿)

戦国時代、近江国北部で勢力を保持していた戦国大名・浅井家。浅井家の3代目にして最後の当主となった浅井長政は、織田信長の妹である市を妻に迎え、信長と同盟を結ぶなどして浅井家の全盛期を築きました。また、長政と市との間に生まれた3人の娘 茶々、江、初は、歴代の大河ドラマや時代小説にもたびたび登場する「浅井三姉妹」として知られ、それぞれ豊臣秀吉、京極高次、徳川秀忠の妻となり、時の権力者に翻弄されながらも、その波乱の人生を強く逞しく生き抜きました。

イラストではそんな浅井一族と、長政の居城であった小谷城から移築されたと伝えられ、「浅井御殿」とも呼ばれる書院を描いています。

福田寺について

米原曳山祭のイラスト

米原曳山祭

毎年10月まちにシャギリの音が鳴り響き、曳山が運行される米原曳山祭は、子ども歌舞伎が披露される湯谷神社の祭礼で、滋賀県の選択無形民俗文化財に指定されています。長浜の曳山祭を見習って、江戸時代の後半期に始まったといわれ、南町の壽山組、北町の旭山組、中町の松翁山組の3つの組があり、地元の人々の努力と熱意によって今日まで受け継がれています。一番の見どころは、各曳山で奉納される子ども歌舞伎。役者は各町の就学前、小学1年生から6年生までの男の子が演じます。その見事な演技と、ほほえましい姿が見物客を引きつけています。また、「シャギリ」とよばれる祭囃子は曳山祭には欠かせないもので、各山組に伝わる独自のシャギリが大に伝承されています。

米原曳山祭について