歴史と文化。

石田三成。

三献の茶

秀吉が長浜城主時代、観音寺に茶屋を申しつけ、その頃この寺で小僧をしていた石田三成が、鷹狩りの際に訪れた秀吉に、1杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、2杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を、3杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差出し、その才能を認められ、出世の糸口をつくったというおはなし。

ゆかりの地、観音寺

伊吹山旧四大寺の一つ。平安時代前期の仁寿年間、律師三修によって建立されました。観音寺は通称で、正式には伊富貴山観音護国寺(いぶきやまかんのんごこくじ)といいます。天台宗。胎内に、貞応3年(1224)の銘を記す伝教大師坐像は、鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造。(国の重要文化財に指定)堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、薬師堂、鐘楼、山門などからなり、秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、寺の小僧をしていた石田三成(いしだみつなり)を「三碗(さんわん)の才」で見出したことで名高い寺です。

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伊吹山山頂のヤマトタケル像

ヤマトタケル。

日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中、伊吹山に荒神がいることを聞き、その荒神を征伐するために伊吹山に登られました。山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため、尊は弓矢で威嚇してさらに進まれました。しかし、なぜか急に毒気にあたって熱を出し気を失われました。実は、このイノシシは山の神の化身で、その怒りにふれたからです。家来は、尊を背負って退散し、麓の清水が湧くところで尊に冷水を含ませると、たちまちに目が醒められました。以来、この地は醒ケ井と呼ばれています。また、一説には、日本百名水の一つ、山麓の大清水の泉神社湧水とも伝わります。その後、尊は伊勢の「能野」に行かれ、ここで亡くなったとされています。

柏原宿

宿場町。

~中山道、北国脇往還~ 東海道とともに江戸時代の五街道の一つであった「中山道」。江戸から京都まで続くこの道は、日本のちょうど真ん中をいく街道であったことから、中山道と呼ばれるようになりました。畿内、東国、北国を結ぶ交通の要衝として、東海道とともに発展し、旅籠や茶屋が集まった宿場町が作られ、旅人たちでにぎわいました。中山道の「柏原宿」「醒井宿」「番場宿」、北陸へ続く北国街道の「米原宿」、そして北国脇往還の「春照宿」「藤川宿」と、多くの往来の名残が残ります。柏原の「寝物語の里」の逸話は司馬遼太郎の「街道をゆく 近江散歩」でも取り上げられました。

手仕事

伝統工芸。

上丹生木彫

鈴鹿山脈の北、霊仙山の麓に広がる上丹生地区は、木彫師をはじめ、漆師や木地師など、仏壇づくりを中心とした伝統工芸を生業とする職人が住む、全国的に見ても珍しい地域です。その起源は二百年前の19世紀初めとされ、以来、神社仏閣の建築彫刻などの大きなものから、欄間や仏壇の彫刻、「だんじり」と呼ばれる山車の彫刻などが行われてきました。近年ではその優れた伝承技術を生かし、時代のニーズに応じた美術工芸品や、日常で使える実用品など、さまざまなアイテムも製作され、注目を集めています。

近江真綿

近江真綿は、江戸中期以降、諸大名が養繭を奨励したことで産業として盛んとなり、岩脇・多和田では250年を超える歴史を持って、いまなお継承されています。真綿は吸湿性と放湿性に優れるため「蒸れ」が少なく、ぜんそくやアトピーにも効果があると言われています。天然素材なのでお肌にもやさしく、工程の大半が手作業なのでエコな製品です。

米原曳山まつりの子ども歌舞伎

米原曳山祭。

米原の曳山祭は、毎年10月に行われる湯谷神社の祭礼で、滋賀県の選択無形民俗文化財に指定されています。長浜の曳山祭を見習って、江戸時代の後半期に始まったといわれ、南町の壽山組、北町の旭山組、中町の松翁山組の3つの組があり、地元の人々の努力と熱意によって今日まで受け継がれています。一番の見どころは、各曳山で奉納される子ども歌舞伎。役者は各町の就学前、小学1年生から6年生までの男の子が演じます。その見事な演技と、ほほえましい姿が見物客を引きつけています。また、「シャギリ」とよばれる祭囃子も、曳山祭には欠かせないもので、各山組に伝わる独自のシャギリが大に伝承されています。