鉄専

インタビューに応える鉄専さん

定年後の安住の地として米原へ

鉄専さんが活動する「伊吹の山里 片田舎」を訪ねると、天井から薄ピンクや黄色の色とりどりのかき餅が吊るし干ししてあった。一見すると七夕飾りのようにも見えてとても幻想的。そこへ定年されたとは余程思えない才気みなぎるオーラで出迎えてくれたのが鉄専さんだった。かき餅とのギャップに、自然とワクワクした。

定年を迎え、人が少なくゆっくり過ごせる土地を求めて、2008年に米原で最北の甲津原に移住した。移り住んだ最初の年、甲津原の豪雪を目の当たりにして、もう少し冬でもアクティブに暮らしたいと願い、人の縁もあって少し南の集落の上板並に移った。

鉄専さんたちが作ったかき餅

東北の大震災からの気づき

米原へ来て3年目、東北の大震災が起こった。未曾有の災害をテレビで見るにつけ、保存食の大切さを強く感じた。そこで、米が美味しい地域の特性を生かしてかき餅づくりを始めることにした。実は、鉄専さんの親戚は4代続いたお餅屋だったとのことで、縁を感じているとも話してくれた。かき餅は、色によって味付けを変えている。例えば、黄色はカレー味といった具合にしている。それは、子供たちが普段から食べやすいように工夫をしているのだ。保存食としてだけではなく、子供のお菓子として普段から選んでもらえるように心を砕いている。普段から食べているかき餅は、実は保存食でもあったというバランス感覚なのだ。美味しいし、見た目にも楽しい。

ケヤキに描いた鉄専さんの書画

米原暮らしはどうですか?

鉄専さんは、地域で活動する傍ら、絵を描くこと、書を書くことを続けている。米原に移り住んで良かったことを聞いてみると、自分の制作活動に好影響を与えてくれたことだと教えてくれた。上板並にきて、初めて納得の書画が描けたこと、ケヤキに描くキッカケをもらえたことを瑞々しく話してくれた。鉄専さん曰く「仏画、書画などは、心静かな状態でないと良いものはできない。」そうだ。米原の静けさがクリエティブを高めてくれている。

反対に、米原に暮らしてみて、残念に感じたことを聞いてみると、住民の方々が変化を嫌うこと。慣例を大事にし過ぎるあまり、より良くなる可能性を狭めてしまっているように感じることだそうだ。あとシャイ過ぎるところもあると言っていた。そんな鉄専さんだが、今では住民の方達ととても良好な関係を築いている。極意は「自らすすんで懐に入ること。輪の中に入ること。」だそう。まずは、何でも話のできる人を2人つくることが大切だと話してくれた。

一緒にかき餅をつくる地元の仲間

これからの米原について

今後のことについて実は後継者を探しているという鉄専さん。「いくらいい所だと思っても働きざかりの若者が第一に考えるのは、生活できるかどうか。田舎暮らしが理想でも、自給自足で家族が生活するのはたいへん難しい。なので地元の有志と共に、地元の環境を生かしそこに住み付いて生活できる基盤を作りたい。これを生きがいにしたい。後継者には自分の持てる知識を全て伝えても良い。」鉄専さんが感じてこられた現実の厳しさからの言葉だろうと思いながらも、若者の夢や希望をかなえるために自らが力になることを宣言する鉄専さんの熱意に圧倒される。「一度きりの人生なんだから。アイデア1つで未来を開こうよ。」と鉄線さんがやさしく語りかけた。