渡部優

お子さんを抱いた渡部さん

自分たちらしく、丁寧に。

地に足をつけて暮らす人だなと思った。
これまで、キラキラしたオーラを纏い、田舎暮らしに憧れを抱いて移住してくる人をたくさん見てきた。けれど、渡部さんは少し違って、静かに、粛々と生活を刻もうとする音が聞こえた。

旦那さんの実家のある柏原で、古い家を自分たちで改修。玄関を入ると、家の良さ、質感をうまく残しながらの家づくりにときめいた。無理していない感じもとても良かった。それと少し驚いたのが、小型の電気自動車が充電されていたこと。一見アンバランスとも思えるが、実にしっくりきていて、益々興味が湧いた。

渡部さんのイラスト

芸術の第一線から米原へ。

埼玉県出身の優さんは、小さいころは外で遊ぶことが好きで、街中の公園をいくつもはしごして回っていたらしい。その途中、夏の暑い時には、スーパーや本屋さんで涼んでいたそうだ。何ともアクティブで賢い。優さんらしいと思った。

絵が好きだった優さんは、東京の芸術大学に進んで真っすぐに油画の勉強した。無造作ながらセンス良く飾られたイラストは、そういうことだったんだと納得ができた。当時、食事はコンビニのお弁当という毎日で昼夜を問わず美術活動に没頭した。大学院の時、さらに美術のことを学びたいとドイツへ渡った。そこで感じたのは“生活の心地よさ”だった。これまで、身体を犠牲にして、心血を注いできた美術活動が、必ずしもそうではないドイツでの経験はその後の優さんの大きな指針になった。

大学院修了後ギャラリー所属のアーティストとして活動した優さんだったが、2010年にJICAボランティアとしてベトナムに渡る。「(根っこのある)生活がしたかった」という。ベトナムでは、耳の聞こえない子ども達と一緒に暮らし、彼らのシンプルな考え方や悩み、一汁一菜の食、家族の結びつきに強く共感した。

東京で仕事をしていた旦那さんとは、2009年に浅草のゲストハウスで出会った。高校の頃から環境の大切さを感じていた旦那さんは、上京し音楽活動を続ける中で、「農業」と「福祉」の大切さを感じていた。ベトナムから帰国の2012年に結婚し、旦那さんの父の病気、母の認知症の進行を理由に、柏原へ移住することをあっさり決めた。

渡部建具店のロゴマーク

丁寧な暮らしづくり。

柏原で暮らすことになり、初めにしたのは、家づくり。たくさんの物を整理、掃除することから始めて、一年かけて形にした。今まで急ぎ足だったことに反して、丁寧にゆっくりと住まいづくりに時間をかけた。その中で、人が集う家にしたいという想いが自然と湧き上がり、まだ見ぬ遠くの人よりも周りの人を少しずつ幸せにしたいと思うようになっていった。

渡部さんの取り扱う調味料

等身大で、丁寧に、心配り。

家が形になってくると、自宅2階を会場にUNITED PEOPLE の映画上映、コンサート、座談会など、少しずつ周りの人と等身大の交流を深めていった。また、自分たちが良いと思う食材を少し多めに取り寄せて、周りの人に紹介することも自然と始めていた。そんなことを続けているとお店というカタチになっていた。「人の輪は、自分の好きな中から、ポリシーの中から」と話してくれたが、その通りになっている。

渡部さんのイラスト

米原暮らしをアツラエル。

米原に来て良かったことはと尋ねると、「全てが楽しい」と即座に返ってきた。美術トレンドや活躍している友達の情報は、ネットやSNSで簡単に知ることができるし、何より今自分たちが大切にしたいと思うことを実現できる米原での暮らしにとても満ち足りていることが伝わってきた。

優さんは2017年の夏から前々から興味のあった整体の勉強を始めている。美術が心を研ぎ澄ます行為なら、整体は体を研ぎ澄ます行為。どこかでつながるのではないかと話してくれた。自分たちで田畑を耕して、福祉の仕事をして、自分たちが良いと思うものを周りの人に伝え、体のことを知り、時折美術にたずさわる。全てが連動して、相乗効果をよび、有機的に繋がり始めているように見える。田舎暮らしに憧れているのではなく、自分暮らしを満たすのが米原だったのだろうと感じた。

自分の表現を突き詰めていた過去の美術活動から、今は誰かのための美術活動をしたいと話してくれた。そんな優さんのイラストは昔とは違う素敵さがある。