英雄ヤマトタケル
最期の地

伊吹山山頂のヤマトタケル像

ヤマトタケル、
最期の地は米原市!?

今から遠い昔、12代景行天皇の皇子として生まれたヤマトタケル。熊襲(くまそ)征伐や東国征伐など日本各地で様々な伝説を残す日本古代史の英雄です。そんなヤマトタケルの最期の地は、実は『米原市』だったかもしれない。ここでは、そんなストーリーを米原に残るヤマトタケルゆかりの地とともにご紹介します。

伊吹山から見える琵琶湖

ミズヤヒメの出会い

熊襲征伐を終えて、次なる戦いの地、東国に向かうころヤマトタケルは1人の姫と恋に落ちます。その名はミヤズヒメ。

ヤマトタケルとミヤズヒメは結婚の約束をし、ヤマトタケルは東国を征伐した後に必ず戻ると言い残して旅立ちました。そしてヤマトタケルは見事に東国を征伐し、意気揚々とミヤズヒメのもとへと赴きました。ミヤズヒメはヤマトタケルとの再会を大いに喜び、そして、ヤマトタケルとミヤズヒメは結ばれるのでした。

ヤマトタケル像

伊吹の荒ぶる神

そんなヤマトタケルの安寧の日々もつかの間、伊吹山に荒ぶる神がいるとの知らせを受けたヤマトタケルは自らが退治することを決意し、伊吹山へと向かいます。これまでの戦いでのおごりがあったのでしょうか、「荒ぶる神であろうと、私なら剣などなくても倒してみせる。」といい放ち、草薙(くさなぎ)の剣をミヤズヒメのもとに置いて伊吹山へと向かいました。

ヤマトタケルと白猪像

ヤマトタケルと白猪

伊吹山を登る途中のことでした。ヤマトタケルは、まるで牛のように大きな白猪と出会いました。「白猪に化けた山の神の使いか。偵察に来たのだろう。この山の荒ぶる神を倒した後にお前の相手をしてやろう。」とののしり、さらに山を登りました。すると不思議なことに空はどんどん暗くなり、にわかに大きな雹(ひょう)が降りはじめました。大きな雹はヤマトタケルを激しく打ちつけます。そして毒気を含んでいた雹は、ヤマトタケルの意識をも奪おうとします。実は、先に出会った白猪は神の使いではなく山の神そのものだったのです。伊吹山の神である白猪は、ヤマトタケルが山の神をののしったことに怒り、雹を降らせたのでした。

居醒の清水

居醒の清水

雹に打たれ、毒による熱病にうなされるヤマトタケル。配下の者の手助けを受けながら、なんとか伊吹山を降りていきます。意識がもうろうとする中、ようやく醒井(現在の米原市醒井)の辺りまでたどりつくと、小さな湧き水を見つけました。ゆっくりと腰を掛けて清らかな湧き水をすくい、喉を潤すと、霧のように霞んでいた視界が晴れ、ようやく正気を取り戻しました。後に、この湧き水は「居醒の清水」と名付けられます。しばらく休んだのち、ヤマトタケルは都である大和へ戻るべく再び出立しました。

礒﨑神社

英雄ヤマトタケルの最期

居醒の清水のおかげでようやく正気を取り戻したヤマトタケル。しかし、伊吹山の神の怒りはよほど強かったのでしょう。びわ湖のほとりまでたどり着いたとたんに容体が急変してしまいます。ヤマトタケルは、薄れゆく意識の中で、都の方から立ち上る雲を見つめながら、都のことを想い、そして草薙の剣を置いてきたことを悔やみました。そしてついには千々の松原(現在の彦根市松原)で息絶えてしまいました。配下の者は、ヤマトタケルの死を嘆き、悲しみ、磯(現在の米原市磯)の地にヤマトタケルのお墓を築きました。すると、お墓から一羽の大きな白鳥が現れ、天高く羽ばたき都に向かって飛び立っていきました。

磯武者行列

磯武者行列

お墓が築かれたといわれる磯にある礒﨑神社では、今もヤマトタケルが守護神として崇められ、毎年5月3日にはヤマトタケルにあやかった鎧武者姿で渡御するする磯武者行列が行われています。米原市にはヤマトタケルへの想いが今も息付いています。

《このストーリーは、古事記や日本書紀、米原に残る伝承を基に構成しています。》

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ヤマトタケルのゆかりの地を巡る

ヤマトタケルの最期の地・米原

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