とても柔和で、自然体。だけど芯が強い人。そんな印象だった。目標を定めて、それに向かってブレることなくじっくり丁寧に前進している。それでいて、独りよがりではなく、家族の営みをとても大切にしている。とても魅力的な人だと思った。
少し高台の見晴らしが良いロケーションにある蔵付きの古民家をセルフリノベーションして住んでいる。おくどさんが残る古い建物は、土壁や柱の質感が良くとても魅力的。そこに薪ストーブを2台配置し、とても快適な空間になっていた。住まいを覗くだけでも、丁寧な暮らしをされていること、こだわりがあることを感じとれた。
林さんは、滋賀県栗東市に生まれ、小さい頃は田んぼに囲まれた田舎の原風景の中で育った。今の米原によく似ていたらしい。それが、小、中、高と時間を経ていく中、どんどん人口が多くなって少しずつ様変わりしてしまったとのことだった。自然に囲まれた環境が林さんにとってはとても大切で落ち着くものだったらしい。
大学では建築を専攻して設計や環境デザインのことを学んだ林さんだが、その方面でやりたい仕事がないことを感じていた。大学4年になって、周りが就職活動を活発に始めた時期、焦りを感じたらしい。それは、就職活動で遅れをとってはいけないということではなく、自分が本当にしたいのは何だろうということだった。
そんな折、フラっと立ち寄ったギャラリーが林さんの運命を決めた。アメリカ人作家(Bob Snodgrass ボブ・スノッドグラス)のガラス作品を見て、衝撃が走った。その美しさと、美しいものが人に与える感動に、こんなモノづくりがしたいと思った。
自分の進むべき方向が見えた林さん、その後のアプローチは一直線だった。ガラスのバーナーワークは珍しく日本では学べないことが分かると、ボブ本人のもとへ行くことをあっさり決めた。半年間のアルバイトの末、渡航資金を貯めアメリカへ渡った。林さんの真剣に学びたいという熱意とボブの人柄で、当初1ヶ月の予定だった滞在は、最終的に3ヶ月になっていた。アメリカではバーナーワークのことはもちろん、田舎暮らしや農業のカッコ良さを知った。さらに、ボブからガラス作家の仲間やギャラリストを紹介してもらい、帰国する時には自分の道が明確になっていた。
「バーナーワークは、やっている人も少なく、認知度も低かったと思うけど、将来に不安は感じなかった?」と意地悪な質問をしてみると、「本当にやりたいことが見つかったことの喜びが大きかったのと、競合が少ない分、ちゃんとやれば食べていけると思った(笑)」と返ってきた。いかにも林さんらしい。
帰国後、縁あって南伊豆で暮らしている時に、東北の震災が起こった。その頃、奥さんのお腹には小さな命を授かっていて、子供への影響や両親の心配などを考えて、故郷の栗東へ戻ることにした。栗東で5年間制作活動をしたが、昔のまちの様子との違いに次第に田舎で生活したいと思うようになっていった。そんな時、米原市のみらいつくり隊(地域おこし協力隊)を知り応募した。何度も米原を訪れて、スーパーまでの距離や保育園のことなど、米原での暮らしを自分たちの目で確かめた。そして移住を決め、一目惚れした古い家に移り住んだ。
みらいつくり隊員として求められる役割を果たす傍ら、自分たちで改修してステキな住まいとステキな工房をつくり上げた。ベースづくりに任期の2年を使いましたと笑って話してくれたが、工房が出来上がる前は、その都度栗東の工房に行って制作をしたり、2年目には新しいイベントを立ち上げたり、自分たちが大切にしたいことに正直に、自分たちのスタイルで突き進んだ。
妻の睦子さんに米原暮らしを聞いてみると「虫や草刈り、木の剪定との戦いです(笑)、あと、田舎だけどまちよりも生活しやすいし、子育てもしやすいです!」とのこと。大阪のど真ん中で暮らしていた睦子さん。自然の豊かさや、子育て環境、アクセスの良さがとてもお気に入りのようだった。